Exhibition

村山伸彦 “塗れた土、影、薄い雪"

2025年2月1日(土)– 2月23日(日)
“ wet soil, shadow, thin snow ”
土日のみ開廊 12:00-19:00


小さいころ、なぞなぞの本を読むのがすきでした。小学校の図書室や街の図書館の片隅にひっそりと並ぶなぞなぞの本。そのページをめくるたび、まるで世界の秘密を知れるような気になって、夢中になって読みました。わからないときには答えのページにとんでいき、「さもありなん」といった調子で書かれた解答を読むのもまたすきでした。
そんなある日、わたしはひとつの忘れられないなぞなぞに出会います。ほとんどのなぞなぞは言葉遊びの類いであったり、子供だましのようなものもありましたが、そのなぞなぞは少し違っていました。

ある晴れた日、蒸気機関車が平原を走っていました。車内のボックス席には、二人のご婦人が向かい合わせに座っています。機関車がトンネルに差し掛かると、開けっぱなしであった窓から、機関車の煙が勢いよく車内に流れ込みました。その結果、進行方向を向いて座っていた女性の顔は煙と煤で真っ黒に。しかし、トンネルを抜け再び明るい陽の下を走り始めたとき、お手洗いへと顔を洗いに立ち上がったのは、顔の汚れていないご婦人でした。なぜでしょう?

ページの半分にはかわいらしいイラストが描かれており、どちらの女性もすました顔をしていましたが、右側の女性の顔は真っ黒でした。
子どもの頃のわたしには、その答えはどうしてもわかりませんでした。顔が汚れたのなら洗わなければならないし、汚れていないのなら洗わなくていいだろう、と考えていたのです。顔が汚れていないのに顔を洗いに行く理由など、いくら考えても思いつきはしませんでした。
なぞなぞの答えは単純です。顔が汚れていない女性は、目の前の女性の顔が煙と煤で真っ黒になっているのを見て、自分の顔も同じように汚れているのだと考えて(本当は汚れていないのに)顔を洗いに行きました。一方、顔が汚れしまった女性は、目の前の女性の顔が汚れていないのを見て(自分の顔は真っ黒なのに)特に思うこともなく、顔を洗いに行く必要もありませんでした。
幼いわたしは、この解答にとても大きな衝撃を受けました。自分が見ている世界とは、まったく異なる視点が存在することを、このときはじめて知りました。
わたしは、とんでもない世界の秘密を知ってしまった気になって、興奮のあまり本を抱えて台所へと駆け出します。そして母を見つけると、得意げにそのなぞなぞを読み上げて、母が答えに詰まるのを待ちました。ところが、次の瞬間、わたしはさっきなぞなぞの答えを知ったとき以上の衝撃を受けることになります。
母はいともたやすく、とくに考えるほどのそぶりも見せずに、つまりなんの謎もないといった態度で、なぞなぞの正しい答えを口にしたのです。
わたしは愕然として、そして知りました。わたしの顔は、煙と煤で真っ黒でした。
「主観」だとか「客観」だとか、そんな言葉を、わたしが知るのは、それからずっと後のことでした。

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